m3.comの取材を受け、全3回の連載記事にしていただきました。以下に全文を掲載いたしますので、ぜひご覧ください!
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第三回:巨大団地でいきなり開業、患者数はほぼゼロ
横浜市港南区には約6000戸を有する大規模団地「野庭住宅・野庭団地」がある。建物の竣工から約50年が経過し、住民の高齢化が顕著である。青森県出身で自治医科大学卒の八森淳氏は、都市型の総合診療の意義を見出し、2016年に当団地のサブセンター内につながるクリニックを開業した。また、「見える事例検討会®」(見え検®)を開発して多職種連携の発展に貢献している。八森氏のキャリアや見え検の開発、訪問診療の実際、在宅入院®などについて聞いた。(2025年7月9日インタビュー、計3回連載の3回目)
専門家や競争相手が多い横浜で自分はやっていけるか
――2016年につながるクリニックを開設されました。開業した理由を教えてください。
卒後から青森県職員として地域医療に携わっていましたが、地域医療振興協会臨床研修センターに転職した後は臨床の現場に立つことが減りました。だんだん医師としての実感が薄れてきた感覚があって、もう一度地域に戻ってみたらどうかと思ったからです。
――開業する場所を出身地の青森ではなく横浜市の野庭団地にした理由を教えてください。
その頃にはもう拠点を横浜に置いて暮らしていました。開業するなら野庭団地はどうかという勧めもあり、周辺を見て歩いてみたら本当にびっくりしました。おじいちゃんがおばあちゃんを車椅子に乗せて、階段を一段ずつカタカタと降ろしているのですから。団地にはエレベーターがないので、大変危険です。この地域は市営住宅も多く、ソーシャルワークが求められています。それを理解しながら提供する医療が必要ならば、自分が貢献できる場所かもしれないと。都会なのに、人と人とのつながりも割とあって、少し雰囲気が田舎と似ているのも気に入りました。
とはいえ、専門家や競争相手が多い横浜で、自分はやっていけるのかという不安もありました。しかし、よく考えてみたら、都会には専門家しかおらず、それをつなげる役目を果たす総合診療医は不足していることに気づきました。ならば自分は必要とされるはずだと。それは、六ヶ所村に勤務していた頃に予想していたことで、実際にその通りだったと思います。
野庭団地のサブセンターにあったパン屋さんや肉屋さんが廃業して空きテナントになっていたので、そこで開業しました。隣は歯科クリニックが入っていたので挨拶に行ったら、実は高校の先輩だったことが発覚しました。野庭団地には青森県民が集まってきています(笑)
――つながるクリニックは午前中に外来と訪問診療、午後は訪問診療を提供しています。このような建付けにしたのは、住民の特性によるものでしょうか。
開業前に「訪問診療をするなら、経営的に難しくなるから外来はやめた方がいい」と複数人からアドバイスをもらいました。しかし、地域の人は「外来はやらないの?」と口々に言われます。確かに外来がないと地域医療としては物足りないかもしれません。いつでも相談に行けて、訪問先の家族も一緒に診てあげられることを考えたら、経営的にはマイナスでも外来機能はあった方がいいと決めました。
――実際に、経営面では問題なかったのでしょうか。
開業後、外来の患者さんはしばらくゼロに近い状況でした。秋に開業したので、予防接種で「今日は1人患者さんが来てくれたね」という日々が続きました。まだスタッフが4人(医師、ソーシャルワーカー、事務、受付)しかいない頃です。
訪問診療の1例目は開業1カ月以内にきました。近くでおばあちゃんが苦しんでいると往診依頼があったのです。しかしこれは偶然の産物です。やはり開業後しばらくは訪問診療の依頼はほとんどなかったので、少しでも外来患者さんがいることが精神的な支えになりました。また、長い目で見れば外来患者さんが将来的に訪問診療の対象になる可能性もあります。
思い返してみれば、外来機能を持ったのは良い判断だったと思います。というのも、例えば訪問診療で看取った人の家族はもう仲間なので、その人が外来に来て関係が続くのです。患者さんにとっても、亡くなった人のことを知っている医療者とのつながりが継続するのは大きなことではないでしょうか。
常勤医3人、非常勤医9人、訪問診療患者数は月350~370人
――現在、スタッフは何人いますか。
今では、医師12人を含む50人ほどになりました。現在担当している訪問診療の患者数は月に350~370人ぐらいです。午前の訪問診療は3チーム、午後は4チームで回っています。基本的には医師と看護師とドライバーの3人でチームを組み、場合によってはソーシャルワーカーや歯科衛生士も同行します。
――スタッフの中には広報担当の方もいるようですね。
はい。広報担当というよりデザイナーとして募集・採用しました。何をするにもデザインの力が必要だと思っていたからです。また、今はAI担当スタッフもいます。効率的に業務を進めるためのシステム導入やAIで連携させる仕組みを考えてもらっています。医療DXが叫ばれる前から、効率性と分かりやすさを向上し、医療の質を担保するためにも専任の担当者が必要だと考えていました。
フランスの在宅入院を見学、感銘を受ける
――「見える事例検討会」と同様に「在宅入院」も先生が商標登録されていますが、なぜでしょうか。
「在宅入院」はこれから大事なキーワードになると思っていたので、それが変な意味で使われたり、利用料金がかかったりする事態を避けたいと思い、商標登録しておきました。2017年に申請したのですが、なぜか特許庁が「在宅と入院は全く違う概念なのに、なぜくっつけた言葉を登録するのか」と消極的な反応を示したために、その説明と理解を得るために登録まで2年かかりました。
――在宅入院(HAD; Hospitalisation a Domicile)が重要であると思ったお考えをお聞かせください。
開業する1年前(2015年)に、フランスの在宅入院を見学しに行きました。当時、フランスでは同時多発テロが起こり厳戒態勢でしたが、決行しました。迎えてくれた方々もテロに屈しない構えで普通に受け入れてくれました。
実際にパリの在宅入院の仕組みを目の当たりにして驚きました。抗がん剤の点滴を自宅で打つために、抗がん剤が入った箱が自宅まで運ばれてきて、看護師が訪問して感染防止対策や調剤を行います。点滴を打ち終わると、専用の箱に入れておき廃棄業者が回収しにくるという仕組みになっています。しかも、この仕組みはパリ市全体をほぼカバーしていました。
病院から退院する時は、病院スタッフが中心となって退院の準備を進めるのではなく、在宅のスタッフが病院に来て退院支援をしていました。送り出すというより、引き取りに来るというイメージです。おそらくコスト的にも病院の負担が減るのでしょう。
――仮に日本で在宅入院を制度化するとしたらどうでしょうか。
もし制度化するなら、入院に準じた診療報酬をつけることになると思います。そうなるとバックベッドの有無などの要件がつけられて、在宅チームがカバーできる幅が狭まってしまわないか心配です。海外の在宅入院は病院のチームが担うことが多い(フランスやドイツは例外)ですが、日本ではある一定の在宅チームが病院レベルの医療を提供しています。今は草の根的にうまく回せている場面もありますから、制度化することによって弊害が起きないことを願います。
――つながるクリニックで行っている草の根の在宅入院とはどのようなものでしょうか。
入院レベルの医療を在宅入院で提供することで、環境が変わらず、経済面も含めて、高齢者にやさしい医療を届けられると思います。もちろん限界はありますが、蜂窩織炎、尿路感染症、脱水、がん末期など、できる範囲で対応しています。
野庭団地はある意味で大きな病院・施設と捉えることもできます。当院は野庭の医局、訪問看護ステーションはナースステーションであり、症状や困りごとがあれば訪問して対応します。車であればどこにでも10分あれば到着できます。
効率的かつ迅速に医療を提供するために、まず看護師だけが訪問して、問診やエコー、心電図、採血などを先に行っておくということもしています。検査結果が出た後に医師が訪問して診察します。骨折など緊急対応が必要なケースであれば、看護師とオンラインでつないで、医師の指示の元に所見を確認して、いち早く搬送の可否を決めることもできます。
――最後に、神奈川県の医療従事者に向けてメッセージをお願いします。
今、医療環境は厳しいと言われますが、地域に根ざした医療は今後も求められているはずです。野庭団地や周辺にお住まいの方については私たちが見守っていきたいという気持ちがあるので、できれば患者さんをご紹介していただければ幸いです。テリトリーを広げるという考えはなく、自分たちの手の届く範囲内にお住まいの方々が気軽に相談できるクリニックでありたいと思っています。そんな願いから2025年には人が気軽に集える場を目指し「つながるカフェ」をクリニックの向かいに新設しました。
【取材・文・撮影=伝わるメディカル 田中留奈】
